ただ、神の恵みにより、価なしに義と認められるのです【ローマ3:24】
ここで、『価なし』と訳されている言葉は、イエス様が詩篇から引用されている、『理由なしに』と同じ言葉です。『彼らは理由なしにわたしを憎んだ(ヨハネ15章25節)。』したがって、神の恵みが、価なしに義と認めるとは、主がなんの理由も根拠もなく、私たちを義と認めてくださることを意味しています。恵みとは、無償で与えられるものであり、受け取る側には何の条件もありません。自分をそこそこ良い者だと考える人も、神の恵みを必要としています。その点、パウロのように、自分を『罪人のかしら』と呼ぶものと変わるところはないのです。
神は、多くの罪を犯したものに与える恵みを減らしたり、罪の少なかったものにより多くの恵みを与えることはなさいません。恵みは、あらゆる意味で、報酬とは異なるものです。恵みが満ち溢れる世界では、罪人も、罪人の働きも変わることなく、取りあげられます。神が、私たちを救うのに理由はいらないのです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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