2015年11月8日

11月8日

またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです【ヨハネ14:13】

ヨハネの福音書の第14章、15章、16章の中で、主は『わたしの名によって』という言い方を繰り返し使われています。この言葉が示すのは、主が、御父から、すべての名にまさる名をお受けになるということだけではありません。弟子たちも、主の御名を使うことを許されていると、教えてくれているのです。イエスの名は、主が、神から受けたものです。『イエスの名による』ものを、神の子供たちが等しく受けています。主は、私たちに、途方もない価値のあるものをお委ねになったのです。主が私たちに、ここまで大きな信頼を与えてくださっていることを、分かっているでしょうか?

私たちは、友人にこんなふうに言うことがあります、『あの人のところへ行って、こう伝え、こうするように言ってください。』そして、こう付け加えます、『何か訊かれたら、私の頼みだと言ってください。』これが、『私の名によって』という言葉に込められた意味です。その名前の後ろに隠された影響力を行使することを意味しています。自分の名と、そこに込められた権威を、人に託す時、あなたは、その人があなたの名において行うことに責任を負っています。主イエスの御名は唯一のものであって、すべての名にまさるものです。それでありながら、主はその名を私たちに委ねたいと望んでおられるのです。そして、主ご自身が、その責任を負うことも願っておられます。これがどれほどの栄誉であるか、本当に理解しているでしょうか?

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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