なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします【マルコ10:39】
ヤコブとヨハネは主イエス様の栄光の御座の隣の席に座りたいと願ったのです。しかし、そのようなことを頼むことはできないと知っていたので、あえて口にはせず、自分ちの願いをかなえていただきたいと、遠回しにうかがいました。イエス様はすぐに、その頼みには応じず、何をして欲しいのかと言われました。彼らの要求にはふたつの意味がありました。ひとつは主の近くにいたいという気持ちであり、もうひとつは他のものより、大きな権威をふるいたいという欲望でした。
キリストのそばにいたいという思いに、何も悪いところはなく、主のその願いを拒みませんでした。主がはっきりさせたのは、ただ、その願いがかなえられるためには、主が飲む苦しみの杯を飲み、主の受けるべき死と復活のバプテスマを受けなくてはならないことでした。この二人の兄弟は、自分たちが何を頼んでいるか、分かっていなかったし、またイエス様も彼らのしていることを、誤りとはされなかったのです。主は、彼らがこのような望みを持っていることで、個人的に叱ることすらなく、彼らが求めるようなことを願ってはならないとだけ、お答えになりました。将来、イエス様の近くに住むために求められる条件はただひとつ、今、主のそばに行くことです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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