各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです【1コリント3:13】
木やわらが、家を建てるのに適した材料ではないとしたら、切り株はもっと使い道がないでしょう。人間の努力という、不確かなもので満ちた世の中でも、最も頼りがいのないものを現しているようです。神のために何かを建てようとするとき、自分の感覚に頼って、また、一時の思い付きや、人に喜ばれるものを目指して作れば、その時、私たちは切り株で建てているのです。いつか、来る日にそのことが明らかにされます。
神の計画によらず、移り気な感情に動かされて働いても、時には、何かの進展があるように思えるでしょう。しかし、そんなものは簡単に消え去ってしまいます。風が吹き返すたびに、移り変わる天気を見て、一時の感情でする努力を思い起こすことがあるかもしれません。今日はここにあっても、明日にはどこかへ行ってしまうのですから。神は、キリストにおいて、ずっと信頼でき、確実な建材を用意されました。それは、やがて来る日に明らかにされるでしょう。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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