あなたがたはわたしの証人。わたしのほかに神があろうか。ほかに岩はない。わたしは知らない【イザヤ44:8】
証人になるとは、誰もがすでに持っている知識を広めることではありません。ほとんど知られていない真実へと、目を向けさせることです。世界の始まりの時代、あまりに多くのことが起こったため、神はそこに証人をおきたいと思われました。今とはすべてが違っていた時代の、人々と土地のことです。彼らを通して、神はご自身の義と親愛という福音を、地上の全ての国へともたらすことになります。
私たちに与えられた責務も同じです。くもりのない神との交わり、お互いを真摯に支え合うこと、美しいキリスト者の生活、この全てがあっても、まだ十分ではありません。そこに証人が必要なのです。教会は金の燭台にたとえられています。飾りではありません。また、黄金であるだけでは、十分とは言えません。神の光を、この暗い世界の隅々にまで広めなくてはならないのです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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