2015年11月2日

11月2日

突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れた【使徒9:3,4】

天からの本物の光は、知識を超えるものです。それは、主ご自身を発見することです。主を見る者は誰であれ、光を見るのであり、本当に光を見れば、私たちも地に倒れます。教示には、このような効果はありません。人は、いくらでも、教育的な内容の説教を聞き、聞いたことを覚えておくこともできますが、それで、変わることはありません。しかし、神からの本物の光が来た時は違います。その光が射し込む時、今見ている全世界に対して、私たちの目はくらまされ、その目は他の世界に対して開かれます。これによって、私たちは本当の世界を見ることができるのですが、そのために、初めに目は見えなくなり、私たちはひれ伏すことになります。パウロが光を見たとき、地面に打ちのめされ、その後、3日間、何も見えませんでした。

光とは義です。それは、人が自分ではできないことを、なしてくれます。イエスと敵対することが正しいと信じてこんでいたかつてのパウロのように、私たちもかたくなで、強情で、説得にも耳を貸さないものであるかもしれません。しかし、それでも、光が当てられたときは、心を解かれ、弱められ、砕かれます。光はまず、私たちをへりくだる者とした上で、私たちに見せてくれるのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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