2015年11月3日

11月3日

それから、彼は、その全部をアロンの手のひらとその子らの手のひらに載せ、奉献物として主に向かって揺り動かした【レビ記8:27】

いけにえを捧げるこの儀式の中で、アロンとその子らの手に載せられた血は、『聖別された羊』から取られたものでした。これが完了した後、アロンの手の中に、『奉献物』が置かれ、揺り動かされました。この奉献物を神に向けて持ち上げたアロンの行動は、そのころ、『聖別』と呼ばれていたものです。では、これを新約聖書の言葉で、説明するとどうなるでしょう?

キリストが神の前にすべてを受け入れたおかげで、今、私は神の声を聞き、御心を行い、主の道を歩くしもべの立場にいます。これから後、私の耳、私の手、私の足は神だけのものです。誰も、私の耳から人の声を聞くことはできず、私の手で他の人の命令に従うことはできず、私の足で他の誰かの道を歩むことはできません。私は、さらに先へと進みます。私は自分の両手をキリストで満たし、主を高く掲げます。これが意味するのは、私がここにいるのは神に仕えるためであり、私のからだはすべてその奉仕に捧げられているということです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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