2015年11月24日

11月24日

イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、…キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン【黙示録1:5,6】

キリストの尊い血による贖いを思い出す時、私たちの心は、いつでも感謝と賛美であふれかえります。他に何も言えることはありません。この上に、なにひとつ願うべきことなどなく、実際のところ、これ以上何かを求めるのは、おかしなことです。主がすでになされたことを、もう一度するよう、求めることはできません。主がされたことを、心から感謝するだけです。

感謝を捧げるのは、主がしてくれたことを心にとどめるためですが、賛美はさらにその先に進みます。私たちは、主が主であられることを讃えます。私たちは、一度は主への感謝でいっぱいになっていました。しかし、初めの感激が消えるに連れ、それに引き付けられることもなくなってゆきました。私たちは、出来事ではなく、人としての主の存在と向かい合っているからです。成されたわざではなく、それを行ったお方と、向かい合っています。少しずつ、主ご自身が私たちの視界を占めるようになり、感謝は賛美へと道を譲ります。『何と素晴らしい救い主でしょう』、私たちは叫びます、『その方は私たちの主、イエス様です』と。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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