2015年11月6日

11月6日

けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、…【ガラテヤ1:15-16】

神は、パウロを生まれる前から選び分けていました。パウロが改心するまで就いていた仕事でさえ、前もって計画されたものでした。いつもこのように、神は働かれます。救われる前にあなたに起こったこと、救われた後に起こったこともすべて、はっきりした意味があるのです。あなたの持つ人格や気性、力と弱さが、どのようなものであれ、すべては前もって神に知られており、いずれあなたに与えられる責務を視野に入れて、神が整えられたたものです。偶然は何もありません。すべては神の摂理のうちにあるからです。意味もなく、与えられるものなどないのです。

こうして、生まれたときから選び分けられているからには、私たちの誰も、無関心、軽薄であることは許されません。私たちは、一人一人がいつか、神の計画を知り、主の時に、その道に進み始めることを、心に止めておかなくてはなりません。神は、私たちがまだ生まれ変わっていなかった日々を、何の価値もないもののように、書き飛ばすことはしません。私たちが、自分の中にある人間的な側面を否定して、代わりに偽物で固めて、外面を飾りたてることを、神は望んでいません。神は、ありのままの私たちを用いようとしておられ、見せかけではない、十字架で清められた、本物の私たちを主への奉仕のために使いたいのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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