このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい【マタイ5:16】
神のいのちが私たちの中に植えつけられました。それ自体は周りの世界から見れば、完全に異質でありながら、この世の本当の性質を照らし出すようにと、神が設計した光源です。その光によって、この世界が、生来持っている暗闇の深さが強調されます。ここで明らかになるのは、今日、自分をこの世から断ち切り、そこにある生来の光を奪っても、決して、神に栄光を帰すことにはならないということです。それは、私たちを通して全人類に仕えるという神の御心を、妨害するだけです。
別のたとえを使えば、教会は、神の敵対者の側から見ればトゲのようなものであり、その相手にとっていつまでもなくならない悩みの種です。私たちはこの世にいるだけで十分、サタンに山のような苦しみを与えているのです。それをやめる理由がどこにあるでしょう?教会は神に栄光を帰しますが、それは、世から離れることではなく、その中に神の光を放つことによって行われます。天国は、神に栄光を帰すところではなく、神を讃えるところです。神に栄光を帰す場所はここです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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