2015年12月1日

12月1日

しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい【マタイ5:39】

山上の垂訓が私たちに語るものとは何でしょう?主の息子である私たちの中に、神が新しいいのちを植えつけた。そのいのちが私たちに一人一人に特別な何かを要求をする。そして、人に働きかけるときは、その要求を果たさない限り、決して満足してはならない・・・こういうことでは、ありません。垂訓は、私たちが正しいことをすれば、すべてはうまく行く、などとは語っていません。人は、こう言い返すでしょう、『なぜ反対の頬も向けなくてはいけないのか?打たれても、素直にそれを受け、打ち返さなければ、それで十分ではないのか!』しかし、神が言われるのは違います。片方の頬を打たれたとき、頭を下げて、その場を去るだけで終われば、内なるいのちが満足することはないでしょう。

多くの人がマタイ伝5~7章が求める基準は、余りに厳しすぎて、とても、自分の手には届かないと言うのです。これは、確かです。それは不可能なものです。しかし、大切な点はここです。あなたには内なるいのちがあり、どのような問題にあっても、山上の垂訓が求めるとうりにしない限り、そのいのちはあなたの気持ちを安らかにすることはありません。御子のいのちがあなたのうちに求めるものが成ったとき、神はその結果に責任を取ってくださいます。私たちは神の満足を遮ることのないようにしましょう。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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