2015年12月24日

12月24日

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません【ヘブル4:15

主イエス様が、大人としてこの世界に入らなかったのは何故でしょう?なぜ、主は、赤子として宿り、母の胸に抱かれて乳を飲みながら、少しずつ成長していく必要があったのでしょう?なぜ主は、30年以上に渡って、この世の苦しみを通らなければならなかったのでしょう?地上に来て、3日後に十字架にかけられたら、ずっと簡単に、あがないの御業を成就できたのでないでしょうか?実は、主が、懲らしめを受け、困難、憤りと失望を味あわれたのは、あなたや私の苦しみに同情するためでした。

同情とは、憐れみの心であり、『ともに苦しむ』ことです。主は、あなたと同じように感じるのです。主はいつでも、あなたの弱さに同情しておられます。あなたが犯す罪にではなく、あなたの体の苦しみ、あなたの魂の苦悩に、同情しておられます。主はそのすべてを経験されたのです。主は、あなたを救う恵みだけでなく、あなたに同情する心も持っています。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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