そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます【ピリピ4:7】
『神の平安』とは、特定の状況で、神が私たちに授けてくださる平安ではありません。それは、神ご自身の平安であり、まさに、ご自身の性質の中から生まれる平安です。神の平安は何物にも破られることがありません。神が、御使いを作られ、また、反逆者たちが、秩序を乱して、宇宙の隅々まで力を及ぼした時も、その災厄が主を遮ることはできませんでした。主は、先へと進まれ、ご自身の求めるものを理解されました。破壊された地上を修復し、その後、生けるものの新しい支配者、すなわち、人を作り出されたのです。
その後、人間もまた、堕落してしまいました。しかし、神の平安は乱されることなく、守られました。私たちは、神がすぐに働かれて、この誤りを正してくださればよかったのではないかと、思うかもしれません。しかし、神はそうしませんでした。神は、『時が満ちる』まで待って、失われたものを回復するため、御子を送られました。何千年も待つことは、神の平安を揺るがすことにはなりませんでした。神が約束されているのは、祈りの中で、全てを主にゆだねることのできる者には、主の平安がその心と考えを守ってくださることです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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