もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります【第1ヨハネ2:1】
主がなされたことは、私たちが犯した罪を完全に許し、あらゆる不義から清めることです。聖書に、『すべての』と書かれているのですから、間違いなく、神はすべてを指しておられます。主の言葉を、小さく考えないようにしましょう。主は私たちの全ての罪を許されるのであり、過去の罪だけでなく、今日、この日までも犯している罪、自分で気付いている罪だけでなく、知らずに犯している罪をも許されます。
『もしだれかが罪を犯したなら。』神は、私たちが罪を犯してはならないと語られました。主の偉大な許しを知るとき、それに対する感謝が、いつも心を研ぎ澄まし、ふたたび罪を犯すことのないよう自分を律してくれます。しかし、キリスト者が罪を犯したとしても、父との仲介をしてくれる方、義であるイエス・キリストがいるのです。それは、『父の御前で』という言葉にも表されているように、家族の問題なのです。神との間に、親子の関係を結んで間もない最も小さな信者でさえも、無条件の許しが与えられています。御子が、取りなしてくださるというこの事実が、それを保証しています。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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