2015年12月17日

12月17日

神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます【ヘブル8:13

使徒行伝21章で、パウロは誓願を立てるために宮に入ります。こうしたのが間違いだったと、性急に決めつけることはやめましょう。神の基準は絶対的なものですが、それをあらゆる時代の聖人に同じように当てはめて考えることを、私たちはしません。究極の目標に向けた主の歩みは、常に進歩してゆくからです。今日のあなたや私に求められているものは、神の完全さに到達することではなく、今、主と歩みを合わせることです。パウロが生きていた時代には、旧約聖書に書かれているとおりに、宮で自分を清めることは、完全に正しかったのかもしれません。しかし、ある時は適切だったことも、後の時代には間違いとなることもあります。

使徒行伝で語られる出来事は、初めから終わりへと進む中で、変わってゆきます。第28章で、この記録が閉じられるところでさえ、御霊の動きは止まることがありません。この潮流は、後に続く世代を通じても進み続けます。そして、前進し続けるご自身の一歩に生涯を捧げる者たちを、神はいつの時代も、引き上げてくださいます。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。