私の祈りが、御前への香として、立ち上りますように【詩篇141:2】
真の祈りは、心の求めるところから来るものであり、胸に浮かんだ想像からではありません。神の御心を求める、内なる深い思いから生じるものです。だからこそ、詩篇の作者は、自分の祈りが、香としてとして神に捧げられますようにと願ったのです。旧約聖書に出てくる香はすべて、乳香の樹から取られています。採取するためには、樹皮を取り囲んで切れ目を入れます。この切れ目から白い樹液が染み出し、これを材料として、香が作られたのです。祈りとは、その時々に、手のうちにあるものを何でも捧げればよいというものではありません。傷からにじみ出るかのように、心の一番、奥底から、痛みとともに引き出された何かを現すものです。
それは私たちが、よく口にする気軽なお祈りとは全く違います。そんなお祈りは、耳には心地よくても、中身は空っぽなものです!神は、そのような祈りにも応えられますが、私たちの祈りは神に聴いていただくためのものであって、仲間のキリスト者の耳を楽しませるためにするのではないことを覚えておきましょう。そして、神は心に目をとめられます。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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