2015年12月8日

12月8日

無慈悲、憤り、怒り、…などを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい【エペソ4:31】

私はキリスト者でありながら、心のうちに沸き上がる怒りを感じることがあります。聖書の一節を繰り返しても、とても鎮めることはできません。『私の古い人はキリストともに十字架につけられました、』とか、『私は罪に死にました、』といった箇所を、口に出してみますが、結局は、本当に死んでも、自分の気性を消し去ることはできないことを認めるしかないのです!聖書の御言葉を、いたずらに繰り返してみても、何の効果もありません。

キリストの十字架が立てられたのは、私たちの痛みを緩和するためではなく、病に対処するためです。感情を抑えられない病気は、私たちの『自我』と深く関わっています。こんな言い訳をしないように気を付けましょう、すぐにカッとするのは、生まれつきの性質だから仕方ない、のんびしりした人だって取り乱すことはあるけど、その表し方が違うだけだ。どうすれば、自我を否定できるか、知る必要があります。キリストの死が役に立つのはここです。自我を神の前で抑え込むことができたら、怒りやすい気性は自然に消えてゆくでしょう。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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