2015年12月9日

12月9日

しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません【ヨハネ4:14】

主イエス様は人々に永遠の満足を与えます。では、私たちがいつも不満を感じているのはなぜでしょう?なぜ、いつも、他の何かを渇望しているのでしょう?この節のみことばを十分、心に刻んでいるのに、そのひとつ前に主が語られたことを見逃したのではないでしょうか?スカルの井戸を指さして、イエス様はこう言われました、『この水を飲む者はだれでも、また渇きます。』私たちの渇きを呼び起こしたのは、『この水』であり、渇きを満たすことができないのも同じ水です。

満されることはありません。私たちの間違いは、自分の希望を、時とともに消え去るものの上に建てることです。キリスト者としての希望でも同じことをします。だから、いつも失望しているのです。初めのことば、『また渇きます』があってはじめて、私たちは次の、『決して渇くことがありません』へと向かうことができました。主がどこまでも満たしたいと望んでいる私たちは、他のどこからも飲んではならないことを、いつも心に止めておくべきです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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