2015年4月30日

4月30日

あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました【ルカ18:14】

この取税人は許しを乞うことしかできませんでした。神はその祈りを聞き、彼が願ったことよりずっと多くのものを与えました。イエス様が言われたように彼は、『義と認められた』のです。これが、この罪人の願いよりずっと大きかったことが分かるでしょうか?彼が願ったものは哀れみだけで、義と認められるとは思ってもいませんでした。しかし、神は彼が義と認められたと言われました。彼は、あたかも何の罪を犯していない者のようになったのです。この後、罪人ではなくなっただけではなく、彼は正しいものとされました。

神がなされる救いは、私たちの限られた尺度ではなく、神の無限の恵み中で行われます。人は自分の小さな思いの中で神が自分のために何をしてくれるかと求めますが、神は人の叫びを聞いた上で、その祈りに応えたいのです。しかし、神が実現されるものは、神ご自身の性質から来るものであって、身に余る好意を惜しむことなく施してくださいます。主を褒め称えましょう!

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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