2015年4月14日

4月14日

そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします【使徒6:3】

この状況は偶発的に生まれたものでしたが、これにより、教会が貧しい聖人に対する救済を進めることにつながりました。こうして社会に対する奉仕を急いで推し進めた時は、間違いなく神に祝福されていましたが、それは一時的な性質であるべきものでした。あなたはこんなふうに叫ぶでしょうか、『それをもって続いてくれたら良かったのに』?そんなふうに言うのは神を知らない者だけでしょう。このような救済の手立てが、いつまでも続けられていたとしたら、彼らに働きかけていた霊的な影響が取り除かれた瞬間に、間違いなく、自己の利益を求める方向に舵を切っていたことでしょう。それは避けられないことでした。

物質的なものが、霊に制御されているとき、人は与えられた役割を果たすことができます。その制限から解き放たれると、すぐにこの世的な標準と目的に引き寄せられます。神の教会はしかし、これとは違います。役割を果たし続けるために、神のいのちにより頼むことをいつまでもやめません。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。