2015年4月5日

4月5日

あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか【1コリント4:7】

主イエス様がろばの子に乗ってエルサレムに入られた時、群衆は大声で叫びました。ちょっと想像してみましょう。ホサナという叫び語を聞き、道に敷かれた枝を見たこのろばの子が、主の方を振り向いて、こう尋ねたとします、『みんなが叫んでいるのはあなたに対してですか、それとも、私ですか?』、と。または、母ろばの方を向いて、こう言ったとしたらどうでしょう、『結局、選ばれたのは僕だよ。僕の方があなたより高貴ということになるね。』このろばの子は、自分の背中に乗っているお方が誰か、まったく分かっていなかったことになります。

神のしもべである、私たちの多くは、ただ愚かなものです。誰を自分のために用いるかという神の崇高なる選択は、私たちが信頼できるかということにはまったく関係がありません。私たちが見上げるのは、この褒め称えるられるべきただ一人のお方です。ホサナの叫びは、私たちのためではなく、足の下に敷かれているしゅろの木も、もちろん違います。そして、おろかな私たちが、『わたしはあなたより優れている』と言っても、ある日、真実に目覚め、自分を深く恥じ入ることになるのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。