2015年4月3日

4月3日

こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように【エペソ3:17】

キリスト者の人生は、古い時代の神の幕屋の状況と似ています。外の世界は騒がしく、活気にあふれていましたが、内なる聖域は静寂の場所でした。たくさんの捧げ物を用意するために、非常に多くのレビ人が必要で、朝から晩まで、中庭を溢れるほどに埋め尽くしていました。しかし、至聖所の中には、誰一人もいませんでした。外庭の幕は、人が外から出入りする度に、始終、開け閉めされていましたが、最も聖なるものを隠す布は常に静かに垂れたままで、誰かが入ってきても、微動だにしません。外側では、騒音と人の動きが儀式の忙しさを物語っていしたが、その一方、内側では喧騒とは無縁の静かな場所が保たれていました。

キリスト者の人生もこのようなものです。外側では、途切れることなく、人との接触がありますが、内面には、侵されない領域があります。外側の忙しさによって、霊の中にも波風を立てる必要はないのです。そして、神の前にいて、いつも内なる交わりを持ちながら生きているあなたは、外に向けて、神を求めながら、神を知らない人たちを助けるための働きに必要なものを、もう持っているのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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