私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です【ピリピ1:21】
1920年4月29日の夜、私は一人、部屋にいて、主を信じるべきかどうか決めかねていました。初めは気が進みませんでしたが、祈ろうと試みると、そこに、自分の大きな罪、そして、救い主としてのイエス様の真実と力強さが見えてきました。主の御手が十字架の上に広げられているところを想像してみると、私を暖かく迎えてくれ、こう言っているような気がしてきました、『ここであなたを受け入れる時を待っています。』主の血潮が私の罪を完全に消し去ってくれることに気づき、その愛に圧倒されたとき、私は主を受け入れました。
それまで、私はイエス様を受け入れた人たちを笑っていましたが、その夜、主の経験は私にとって現実となり、私はすすり泣きながら自分の罪を告白して、主の許しを求めました。初めての祈りをしたとき、私は、それまで知らなかった平安と喜びを知りました。光が部屋に溢れたように見え、私は主にこう言いました、『おお、主よ。あなたは本当に恵みに溢れた方です。』
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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