私の宝物倉の中で彼らに見せなかった物は一つもありません【イザヤ39:4】
ヒゼキアは歴史ある小国の、大変に豊かな王様でした。バビロンの王は、当時、のし上がってきた強大国の支配者でした。ヒゼキアが病気から奇跡的に回復したときに、彼が大いに祝福したのは、こうしてみると、ただのご機嫌取りだったとしか思えません。ヒゼキアは、彼らのおかげで、自分の名声が高まり、立派な人たち交流をもてたと感じていました。こうして彼の虚栄心がくすぐられ、自分自身を裏切って、宝物を見せるというおろかなことをしてしまったのです。
彼のように、自分に注目が集まると、人は誰でも舞い上がってしまいがちで、それは相手が人でも神でも同じことです。自分が助けに入ったおかげで、誰かの魂が救われ、癒されたとき、また、自分の言葉で誰かが助けられると、私たちはいい気分になって、神の聖なる宝物を人の前に広げ、見せびらかし始めます。しかし、神は、間髪をいれず、預言者を通して、ヒゼキアに明言しました。そのようなことをすれば、自分が損失を受けるだけであると。神の前に静まるだけでなく、恵みを求めましょう。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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