2015年4月17日

4月17日

弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった【使徒11:26】

聖書では、キリスト者という言葉が使われます。それは、『キリストの人』とか、『キリストの者』を意味していますが、決して、『イエスの人』とは言いません。イエスとは個人の名前であり、キリストが個人名でありながら、もっと多くを含む名前であるのと違います。キリスト者は、キリストの一部であり、キリストをかしらとする体の各部分です(第1コリント12:12)。私たちにとって、自分をキリスト者とよぶことは喜びです。

イエスの名前は基本的には、この地上におられたときの人の子に対して使われるものです。イエス様がこの世におられたときは、ご自身がすべての人よりも、その徳と美において際立っていることを現されました。人の子としての主には、誰ひとり、近づくことも、ひとつになることもできませんでした。しかし、イエス様の名前には、『救い主』という意味もあります。主は、私たちを罪から救うために、降りてこられたのです。私たちが救い主としての主とは決してひとつにはなれないのに対し、その死と復活によって、高く上げられて御座におられるキリストとしてのご自身とひとつになれるよう、私たちを引き上げてくださいました。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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