2015年4月10日

4月10日

七つの燭台は七つの教会である【黙示録1:20】

黙示録の2章と3章には、人の子が燭台の間を動き回り、それぞれの責任をご自身で、明らかにされるさまが示されています。私たちの目は、主の視線を追いながら、教会の多くの問題点を見い出してゆきます。しかし、ヨハネは、よい教会と悪い教会の間の違いを、どこにも示していないことに、私たちは気づいたでしょうか?彼らの不完全なところについて、ヨハネは主ご自身が見るままに書いています。すなわち、彼らは『七つの燭台』、すべて金でできた7つのろうそく立てであると。

神が人間を通じてされることの中で、永遠なのは何でしょう?10年とか20年の話しをしているのではありません。神が目を留められたものの中で、決して変わることのない神ご自身が、決して捨てないものは何でしょうか?本物の真珠を身に着けることのできない人は、ビーズ玉を買って、それを真珠の代わりと考えます。しかし、本物の真珠を持っている人にとって、偽物の真珠などというものはあり得ません。そこには、本物の真珠と偽物の真珠などというものはなく、ただ真珠があるだけなのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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