2015年4月20日

4月20日

イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです【ヘブル13:8】

霊的な現実にはこの驚くべき性質があります。すなわち、そこでは、時間の区切りがないのです。時間の制約は、その現実に触れた瞬間に消え去ります。例として、預言をとってみましょう。人間的な見方からすると、いわゆる預言というものがありますが、神の視点から見た場合、そんなものは存在しません。

私たちの主は、ご自身が最初であり、最後である、また、アルファであり、オメガであると言われます。しかし、覚えておいてください、主は同時にその両方であられるのです。主は、ある時には最初で、別の時には最後なのではありません。主は同時に最初であり、最後であられます。また、当面の間、アルファであった後に、オメガになるのでもありません。主は、永遠から永遠に至るまで、アルファであり、オメガなのです。もちろん、人間の目には、主が完全に姿を見せられるまでオメガとはなりません。しかし、神の目には、主は今、すでにオメガです。私にとって、昨日の『私』は今日の『私』とは違うし、明日の『私』は更に違っています。しかし、イエス・キリストが、『私は』と言われるとき、それは永遠にその通りなのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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