あなたがたは、私たちとともに死に、ともに生きるために、私たちの心のうちにあるのです【2コリント7:3】
パウロは、自身が書いた言葉のなかに、その全存在が含まれている者でした。彼がコリントで直面した道徳的な危機にあたっては、彼は急いで手紙を書くだけでは対処できなかったのです。彼が書いたのは、心から絞り出される痛みと涙でした。彼は、意味の分からない言語で話したり、言葉が入ってきては、心の中の思いを変えることもなく、出てゆくような者ではなかったのです。
私たちの神のための働きには、必ず人間的な要素があり、それは人に助言を与えるときも、御言葉を述べ伝えるときも変わりません。私たちの与える助言や、述べ伝える言葉が、私たちの心に真の喜びや、真の苦悩をもたらすことがなければ、口述録音機と大した違いはないのかもしれません。すなわち、初めにすべての言葉を語られるままに録音して、それを一字一句、再生するに過ぎないのです。神が喜んで、使いとして用いられるのは、どこにでもいながら、繊細な感覚を持った男や女なのです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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