どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に…【エペソ3:20】
神の栄光は世々にわたって、とこしえまで、『教会により、またキリスト・イエスにより(21節)』あるものです。しかし、今、神の栄光は、そのすべてを越えて豊かに施すにあたって、教会の力に頼るようになっています。それは私たちのうちに働く力によって計られるからです。
故に、主の人々は神の力が通る門です。神が成したいと思われている働きも、人の持つ限界によって狭められてしまいます。それならば、私たちは祈りという務めを復活させなければならないのではないしょうか?ここ上海と中国全土における神の目的、実際には、全世界における目的が果たされるためには、今日の教会の祈りの務めが求められています。『求めなさい』とイエス様は言われました。『そうすれば受けるのです。』この簡単な務めを怠るなら、私たちが神にとって何かの役に立つことがあるでしょうか?
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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