2015年7月7日

7月7日

私はその陰にすわりたいと切に望みました。その実は私の口に甘いのです【雅歌2:3】

本物の信者にとって、キリストの愛はそれだけで十分なものです。キリスト者は、そこに休息、守り、満足を見出します。この歌い手は、初めは愛する人の後ろについて走ることを語りましたが、今は休息を与えられた喜びを、声高らかに歌っています。樹のように、その影は彼女を覆い、その実は彼女に深い満たしを与えてくれます。

正午の暑さが体を貫くことはなく、キリストに隠れ場を求める者が、熱で疲弊させられることもありません。救い主の愛の安らぎである常緑樹の下で休むとき、人は、『切に望んでいたもの』を見出し、霊が驚くほど高ぶることに気づきました。この世の焼け付く熱から守られていただけでなく、内面から新たにされていたのです。あたりには他にも樹があって、いつも緑に茂っていたのに、実を結びませんでした。キリストはいのちの木で、他の木とは違います。主は日中の燃える熱を遮ってくださり、それと同時に、私たちの内なる必要を満たすだけの実をつけてくれます。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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