2015年7月30日

7月30日

あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、…祈ってもらいなさい。…また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます【ヤコブ5:14,15】

これは不思議な種類の許しです。聖書のほかの箇所で、長老たちがあなたのために祈れば許されるなどと書いてあったでしょうか?どこにも書いてありません。罪を犯したなら、それを神の前に告白して初めて、神の許しを直接いただくことができます。なぜヤコブは、許しを理解するために、教会の長老たちを招いて、祈ってもらいなさいなどと勧めているのでしょう?

聖書の中には、神による統治とも呼ぶべきものが確かにあって、その第一の原理は、あなたは自分で撒いたものを刈り入れるということです。ヤコブがこれを書いているのは、病に苦しんでいる人のためのようですが、それは神の御手がその人を統治しているためです。誰にもはっきりとは分からないからこそ、その人と長老たちが会い、共に告白し、御体の交わりの中で祈るのです。こうして、神の手が離れ、交わりが戻ります。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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