2015年7月4日

7月4日

キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためです【エペソ5:26】

教会に対する神のもっとも崇高な目的が、この手紙に啓示されています。その際立った特徴として、教会は、罪人が救われることでなく、彼らがキリストに選ばれた時に始まるとされています。エペソ書では、他にはない事実が、明らかにされています。ここに私たちは、教会、世界の基の置かれる前からキリストのうちに選ばれた教会を見ます。それは、主から起こされたもので、永遠に主のご栄光を現すように定められています。

しかし、同時に、エペソ書では人の罪、人の堕落が事実であることも、はっきりと示されています。キリストに属する私たちひとりひとりには、真に主のものである新しい霊を授けられていますが、それと同時に、キリストにはない多くのものが、私たちの中に、多く残されているのです。そのため、この節では、キリストの行いによって、私たちが清められることが語られています。主は、私たちが回復し、神の意図された姿へと、完全に変えられることを願っておられます。すなわち、神の計画は、それ以上清める必要すらないところへ私たちを連れて行くことであり、これは間違いのない事実ですが、今の私たちは、まだ清められる必要があるのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。