2015年7月27日

7月27日

その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります【1コリント13:12】

キリストの裁きの座の前に来る時、私たちはそこに立って、神の調べを受けるだけでなく、神からあることを明らかにしていただくことになります。それは、今は完全に間違っているように見えても、確かに主の御心である何かです。その時、私たちはこう告白することになるでしょう。かつて、自分が正しいと思ったことも、今では本当に間違っていたことがはっきり分かりました、と。また、ある場合については、主が私たちは正しかったが、その時は、主ご自身も正しかったと、と認めてくれるでしょう。

主に対して、気持ちを荒げないことは、最も大切な訓練であり、そこには大きな祝福が生まれます。神が約束された通りのことをしてくれないと、思えてしまうことがあるものです。なぜか、主がその御言葉どおりの方に見えなくなります。実は、神はそのみ言葉より、はるかに良いのです。今こそ、主に信頼しなくてはなりません。そうすれば、すべてを理解できます。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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