2015年7月12日

7月12日

これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい【マルコ9:7】

私たちには神の書が必要であり、また、神の預言者が必要です。神は、モーセやエリヤ、そしてこの二人が示すものを打ち捨てて顧みるな、とは言われません。しかし、この山上の変貌と言う出来事から学ぶべきは、この二人のどちらであっても、私たちの心のうちで神の生ける声が占める場所に置き換えることは絶対にできないということです。

御国の明るい面では、キリストの絶対的な権威が認められます。一方、負の面として、主以外のすべての権威を徹底的に排除することがあります。これを行うためには、神の御心を直接、理解することが必要です。その中には、神から与えられた助けがすべて、含まれていますが、それだけでは終わりません。御国では聞くべき声はひとつしかありません。誰のことばを通して語られても、それは同じ声なのです。キリスト者であるからと言って、人や書物の助けを必要としないことは決してありません。しかし、御国でのあり方は、愛された御子が私に個人的にかつ直接、語りかけ、私も、個人的、かつ、直接、主の御声を聞くというものです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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