2015年7月2日

7月2日

ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞いているのならばです【エペソ4:21】

救われた後、私は、五旬節の日のペテロの説教に不満を感じることがよくありました。大切なことが、何ひとつ明瞭に説明されていないと、感じたのです。その中に救いの計画のことがまったく触れられていなかったからです。ペテロが、『救い主』と言う呼び名さえ使っていないとは、なんと奇妙なことではありませんか!しかし、その説教の結果はどうだったでしょう?その場にいた人々は、心を刺され、『私たちはどうしたらよいでしょうか』と叫んだと伝えられています。また、コルネリオに対して、ペテロはキリストとは誰だったのか、それだけを話し、主の死の意味については、何も語りませんでした。それでも、聖霊は彼らすべての上に降ったのです。

福音を伝える現代の説教の最大の弱点は、人に救いの計画を理解させ、また、主の方へと向かわせるために、罪の恐怖とその結果を教えていることです。私たちはどこで間違ったのでしょう?間違いの原因はまさにここにあり、その故に聴衆が主を知ることができないのです。聞き手は、『罪』や『救い』にのみ目を注ぎますが、本当に必要なことは主イエス様を見上げ、主にふれることです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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