2015年7月10日

7月10日

キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです【コロサイ3:11】

キリストの御体とは、ギリシヤ人でもユダヤ人でもなく、また、未開人、スクテヤ人でもありません。国籍の区別のないひとりの新しい人です。次の話が、それを良くあらわしています。第一次世界大戦の後、イギリスからキリスト者の兄弟たちが、ドイツで開かれた会議に参加しました。ドイツ人の兄弟の一人が、訪問者を紹介するために立ち上がり、こう言ったそうです、『もう戦争は終わり、イギリス人の兄弟たちが訪ねてきてくれました。心から、皆さんを暖かく迎えたいと思います。』

紹介されたなかの一人が立ち上がり、こう返答しました、『私たちはイギリス人の兄弟ではなく、イギリスから兄弟です。』なんとすばらしい言葉ではありませんか!思い出してみてください。エルサレムの教会でさえ、この間違いが起こりそうになったことがあるのです。ギリシヤ語を使う人たちと、ヘブル語を使う人たちとの間に論争が起こったときのことです(使徒6章)。アンテオケで、弟子たちがキリスト者と呼ばれるようになったのは良いことです。教会の中では国籍の区別も、人種の違いもなく、すべてであるキリストが、すべてのうちにおられるだけなのですから。この他には、何もいらないのではないでしょうか!

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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