そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです【エペソ5:15,16】
10人の乙女のたとえ話に出てくる、かしこい者とおろかな者の違いは用意ができているかどうかにありました。この節でも、同じ対比が見られ、賢い人とは、機会を十分に生かして用いる人であると説明されています。愚かな人は、子供のように、ぐずぐずと先延ばしにしていれば、言うことを聞かなくても済むだろうと考えています。こんなふうに、何もしないでいるうちに、物事がうまく行けば、ある意味、その人は賢かったということになります。
しかし、もし、命令されたことをやり遂げるまで、相手もあきらめず、結局、言われた通りにするしかなかったなら、先延ばしにしたのは全く愚かなことであったことになります。この節はこう続きます。私たちは、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟らなければなりません。私たちの神が、変わることがなく、永遠に変わらない目的を持っておられるなら、知恵ある生き方とは、意味なく時間をつぶさず、主には直ちに従うことです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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