2015年5月16日

5月16日

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました【1ペテロ2:24】

人はその体を通して罪を犯し、体の中で罪の一時的な愉悦を味わいます。肉体はその罪に応じた裁きを受けなければなりません。これは、私たちの救い主が、その肉体に苦しみを受けたことを、ある面で説明してくれます。主が御体に苦しみを受けることは救い主を預言した書物にはっきりと書かれていたのです。主の手、主の足、主の額、主の横腹、主の心臓、これらすべてがゴルゴタの丘で刺し通されました。罪に満ちた人間の手で刺し通されただけでなく、罪にまみれた人間の性質のために刺し通されたのです。

手が釘で打たれるのは、罪を愛する手のためです。口が乾くのは、いつも罪の道具となってしまうからです。足が釘付けにされるのは、それが罪へと導くからです。額がいばらの冠で刺しぬかれるのは、これもまた罪を愛する部分だからです。人間の肉体が受けねばならなかった多くの苦しみが、主の聖なる御体に課せられたのです。主には、その苦しみを避ける力がありながら、自ら進んでその御体に計り知れない痛みを負われました。それは私たちのためであり、全てが完了したことを確かめた後で、ご自身の霊を放たれたのでした。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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