肉体に一つのとげを与えられました。それは…、私を打つための、サタンの使いです【2コリント12:7】
聖書の中で明らかにされている驚くべき事実ですが、『異教徒』が癒されることは、比較的簡単なのに対し、キリスト者が癒されるのはそれほど容易ではありません。新約聖書が圧倒的な力で教えてくれるように、信じていない者が癒しを求めてイエス様のもとに来た時はいつも、その人は直ちに癒されたのです。癒しの贈り物は確かにキリスト者のためにも与えられており、その点で、未信者と違いはありません。それでも聖書には癒されなかった信者のことが語られています。その中にはトロピモ、ティモテ、そしてパウロといったもっとも信心深いものもいました。このすぐれたキリストにある兄弟たちの一人一人が、病いに耐えなければならなかったのです。
病いは、その作用においては罪とは明らかに違っています。罪が、聖なる実を結ぶことはありませんが、病気が実を結ぶことはあります。病気や痛みを何か恐ろしいもののようにみなしてはいけません。刀は誰の手にあるのですか?それは神の手の中にあることを思い出してください。なぜ、病気で弱るたびに、それがあたかも敵の目論見のうちにあるかのように心配するのですか?神の許しがなければ、サタンも人を病気にすることすらできません。すべての病気は神が私たちに測って与えたものであり、それは豊かさをもたらすためなのです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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