心は燃えていても、肉体は弱いのです【マタイ26:41】
弟子たちはゲッセマネの園にいました。あらゆる意味で、これは五旬節の前の経験だったわけです。ここから思い起こされるのは、キリスト者は自分の意志の力だけに頼って生きてはいけないことです。意志の力がどれほど強くても、望みを持つようになるだけで、それ以上のものではありません。何かをしたいとい望むだけでは、弱い肉に力を与えられません。もっと多くのものが必要なのです。
意志の力はガソリンの入っていない車のようなものです。押したり、引っ張ったりしなくては動きません。それをやめれば、きしむ音を立てて止まってしまいます。霊的な目標を達成するために、人間の意志により頼めば、敗北に終わります。人間の意志から霊的な力は出てきません。それはキリストにある新しいいのちから来ます。このいのちは、私たちの決意を超えた、まったく別の深い力を与えてくれます。その力によって、私たちは、自分が栄光に満ちて主の勝利の中を進んでいることを見出すのです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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