あなたの名は注がれる香油のよう。それで、おとめらはあなたを愛しています【雅歌1:3】
主イエス様はご自身が油注がれたもの、キリストでした。甘く、良い香りを放つそそぎの油のように、聖霊は神と人間の両方に、聖なるいのちの美しさを知らしめます。しかし、主の御名のこの甘い香油が注がれたと歌うこのことばは、主の死を思いおこさせるものでもあります。
主の食卓で、私たちは主の死を覚えるだけではありません。それ以上に、主の死を告げ知らせるのです(1コリント11:26)。私たちの記憶の中に、その死がいつもありますが、それを超えて、思いは主ご自身に至ります。主ご自身が、『わたしを覚えて、これを行ないなさい』と言われるからです。誰もが同意すると思いますが、干し藁の敷かれた野原の匂いのように、心を動かした過去の出来事と結びついた香りほど、記憶を刺激するものはありません。私たちが感謝を込めて思うべきは、主がしてくださったことだけでなく、主そのものです。おとめらは、愛の哀れみや主から受けたことを愛しただけでなく、主の人柄を愛したのであり、その方の名は彼らにとって甘い香りを放つものとなったのです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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