2015年5月27日

5月27日

あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです【1コリント12:27】

キリストにある交わりが自分の中に生きていることを自覚するのは、実にかけがえのない恵みです。それによって、私たちの中に、『何かに帰属している』という感覚が目覚め、深まってゆきます。いつも、『単独で飛んでいた』蝶の性質は、ミツバチの性質に代ります。すなわち、いつも巣箱を中心として生き、自分のためでなく、群れ全体のためにいつも働くようになるのです。それが意味するのは、神の前における自分の立場を見るとき、私たちは単独の存在ではなく、集団の中の一人であるということです。

単独でいる限り、何かの役に立つことはありません。その働きは限られたもので、たやすく見落とされ、なおざりされてしまいます。私たちの存在など、誰も気にかけません。単独で動いているものは、記録に残ることすらほとんどありません。しかし、器官となったときは違ってきます。もはや、御体の一部となれば、受け身のままでいることはありません。立ち尽くして傍観することはもうないのです。器官となったら、だれ一人、『私はどうでもよい』とは言えないのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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