2015年5月17日

5月17日

聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、…前もって福音を告げたのです【ガラテヤ3:8】

パウロは、主の恵みが新約聖書から始まるものではないことを、あらためて教えてくれます。神がアブラハムに与えたのは律法ではなく、福音の約束でした。ガラテヤ書によると、今日の福音書はアブラハムに対して語られた福音をもとにしています。私たちの祝福はアブラハムの祝福の上に成り立っています。私たちに今日、与えられている約束は、アブラハムへの神の約束にまでさかのぼります。そして、今日私たちが受けるキリストさえ、アブラハムの種から出ています。パウロが私たちに教えてくれるのは、旧約聖書と新約聖書が真っ直ぐな一本の線の上にあるということです。

別の言い方をすれば、神は、ある時には恵みを与え、別の時には律法を与えるということはないのです。また、主は約束をくださりながら、その後、しばらくの間は働きを要求したりすることもありません。私たちが今日、受ける恵みは新しいものではなく、アブラハムが受けたのと同じ恵みです。したがって、初めに約束があり、あいだに律法を挟んで、そしてキリストの御業が完了されたことは、後から見れば、すべて一本の真っ直ぐな線の上に乗っているのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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