2015年5月22日

5月22日

私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます【ローマ8:16】

人の再生は、その魂の活動によって生まれることはありません。忍耐強くあること、涙を流して、罪への悲しみを表すこと、その上で、キリストのために決断をすること、こういったことはそれだけでは人を救うことはできません。告白、決断、他のどんな宗教的な行動も、そこから新しいいのちが生まれると考えるべきではありません。

理性的な判断、知性的な理解、精神的な需要、善と真実の追及、これらはすべて人の魂が行う優れた行為です。こういった行動は、人を神への飢えへと導くかもしれません。しかし、人はしもべとして役には立っても、人の考え、感覚、選択は、主人のはたらきを代わりに執り行うことはできません。救いに関して言えば、彼らの役割はあくまで二次的なものです。聖書的な現実としての新生はもっと深い領域に属しています。その現実とは、人の精神における神なるいのちの目覚めに他ならず、それは神の聖霊が入り込むことによって起こるのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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