2015年10月8日

10月8日

私が世を去る時はすでに来ました。私は、走るべき道のりを走り終えました【2テモテ4:6,7】

少なくとも3度にわたり、イエス様は際どいところで死から逃れました。まだその時が来ていないことを知っておられたからです。御父は、主の時を定めておられ、それより先に死ぬことはできないことをご存知でした。使徒パウロもまた、同じように、危うく死を免れた経験が何度もありました。パウロは死を恐れはいませんでしたが、自分の責務をすべて果たすまで、神が自分を死なせないことも、かたく信じていました。

旧約聖書には、『長寿を全うして』死んだ家長たちが出てきます。この言葉が意味するのは、家長たちが、神に定められた齢を生き抜いたことです。人生が長くても、短くても、私たちが定められた寿命を終える前に、罪人のように滅びることがないようにと、神は望んでおられます。私たちに与えられた時間は、それが何であれ、主が決められた人生の責務を成し遂げるのに十分なのです。これが死に対する勝利です。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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