ダビデはサウルに言った。「こんなものを着けては、歩くこともできません。慣れていないからです。」【第1サムエル17:39】
人の手で備えられたものの中に、霊的な価値などありません。王のよろいを身につけたからと言って、人は王の資質を持っていることにはなりません。自分が油注がれたイスラエルの王となると、ダビデがすでに知っていたことは、とくに印象的です。王の戦いを進めるにあたって、王としての装備を身につけるよりも、求められるものがあるはずです。
ダビデは、よろいを一度は身につけましたが、すぐに脱ぎ捨てました。心の中では、ダビデは霊的な力は、この世で備えられた持ち物ではなく、神との内なる関係から来ることに気づいていたはずです。ダビデは、日々の生活の中の秘められた経験を通して、そのような関係に入りました。神と共に得た隠れた勝利は、ダビデにとって戦いを勝ち抜く十分な武器となったのです。ダビデは、サウル王が、人の知恵で最良のものとして用意してくれた助けなどないほうが、ずっとよく戦えたのでした。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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