目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません【1ヨハネ4:20】
使徒ヨハネのこの言葉に、こう付け加えてもよいかもしれません、『目に見える兄弟を愛することができなければ、どうして目に見えない兄弟を愛することができるでしょう?』パウロがコリント人に愛について書いたのは、愛が人を一致させるものだからです。コリントには、妬みと対立がありました。そのために、パウロは彼らに、愛は人をねたまないこと、自分の利益を求めず、人のした悪を思わないこと、言葉を換えれば、愛は分裂を引き起こさないし、人を離れさせないと伝えたのです。これはすべて、コリントの信者たちが、お互いとしっかりと愛し合うよう奨励するためでした。
私たちの多くは、相手が遠くにいて、姿が見えないときは、兄弟をよく愛します。毎日会う相手を愛することができるかどうかで、私たちの神への愛が試されるのです。コリント人は、コリントにいる兄弟を愛することから始めなければいけなかったのです。後に、彼らは、エペソに行って、そこにいたキリストの信者仲間を愛することができました。彼らが天に昇って、満ち満ちたキリストのからだを見るのは、それができて、初めて許されることです。これが正しい順序であり、私たちの信仰が試される、もっとも難しいことです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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