わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい【黙示録3:18】
もし、私たちがフィラデルフィアが歩んだ道筋を進み、ラオデキアに戻る道には入りたくないと望むのなら、神の前のへりくだることを学ばなければなりません。兄弟たちがこんなふうに言うのを、何度か、聞いたことがあります、『神の祝福が私たちの中にあります。』そこに真実があるのかもしれませんが、私は、その言葉を口にするときは、注意深くあるべきだと感じます。自分たちが富んでおり、すでに十分な富を受けていて、何も必要ないと言いたい気持ちになったら、その日、私たちは、ラオデキアに非常に近い状態になっています。
覚えておきましょう。初めに神から受けなかったもので、私たちが持っているものは何もないのです。主の前に立つ者は、自分の持つ富を意識せず、自分のことだけを意識しています。主の臨在のうちから、進み出るものは、富んでいながら、自分の富めることを知りません。モーセの顔の輝きは消えてゆきましたが、それでよかったのです。モーセがそのことに気付いたら、彼はいつまでも心を定めることができなかったかもしれません。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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