彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった【使徒11:24】
神から多くの賜物を受けている人物を見ると、私たちは、そんな人が実に富んでおり、主に大いに用いられていると考えます。しかし、苦しみのなかにいる人たちを助けてくれるのは、すばらしい才能や能弁さではありません。それは、死に打ち勝ってよみがえるいのちであり、そのいのちは、パウロのように、『毎日が死の連続で』ある者のうちにあります。
神は、ご自身の思うがままに、ここで一人、あそこでも一人と賜物をくださり、ご自分のために仕えるの口金としてくださいます。しかし、神が本当に求めているのは、代弁者ではなく、御霊によって、いのちを伝える器です。このイエスのよみがえりのいのちが流れてくるのは、『イエスの死』がそのうちに働いている人たちからです(第2コリント4:10)。霊的な賜物に頼ってしまう者は、おろかなことをしています。そのような賜物が、いつも内なる人を作りかえるわけではないからです。何かが壊れたところから、いのちが生まれ出てくるのです。
ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』
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