2015年10月28日

10月28日

神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とされたではありませんか【ヤコブ2:5】

この世の暮らしでは貧しくあった人も、最後には報奨として、永遠の豊かさが与えられます。艱難と貧しさだけがあって、そこから何の実を結ばないことは、決して神の御心ではありません。主の目的は、すべての苦難が信徒を大きくし、また、すべての貧困が真の富へと導いてくれることにあります。主は民に、終わらない苦悩、終わらない貧しさを宿命として与えたのではありません。苦しく貧しい生活は、それで終わりではなく、終端へと達するための道なのです。

ヨハネの黙示録で述べられている新しいエルサレムのことで、理解できないことがたくさんありますが、それでも、私たちはそこに無限の富にあふれた街を見ます。しかし、その街には悩みの炉で精錬されなかった金塊はなく、炎をくぐり抜けてこなかった宝石もなく、また、苦しみの中で生まれなかった真珠もありません。こうして、『信仰に富む』ことは、間違いなく義とされるのです。

ウォッチマン・ニー、『よろこびあふれる心』

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